60歳を目の前にして、自分にはなにもやる事がなかったことが、すごく辛かった時期がありました
周りの友達は「働けるうちは、働くよ!」、「70歳くらいまでは働いていたい」という想いを持っていました
わたしはというと、そう言い切れなかった暗黒の長い月日があったんです
椎間板ヘルニアと突発性大腿骨頭壊死症という、診断を受けて仕事を辞めてしまったのが55歳の時でした
その時は椅子に座っても何をしていても痛い時期で、痛み止めを飲んで仕事に行くことは日常になっていたんです
痛くても、無理や我慢をすることが多くなってきて、「仕事を休ませてほしい」、と言うことも出てきてしまい、それがわたしはとっても辛かったんです
同僚は、「それでもいいからね!休んでもいいんだよ」と優しく言ってくれますが、そんなことが度重なると、やっぱり申し訳なくて…という想いになって
「こんな自分なんて」と、「みんなの足を引っ張るだけでなんの役にも立たない」、とかですね、もうだんだんと自虐的になってくるんです
だったら、休むことなく仕事ができる人にやってもらった方がいいし、みんなに迷惑もかけなくてすむからと、辞める決心をしました
もう、悲壮感満載でかたくなな自分で、とにかく周りの人に迷惑をかけたくないと、まるで悲劇のヒロインのような感じ
でも、わたしも周りの友達のようにまだまだ働きたいというのが本音で、こんなわたしでも何か家でできることはないのか、という想いはあったんです
だけど、資格もないし、なんの技術もないし、あるものが何もないという感じだったんです
ほんとうに、自分には何もやることがない、やりたいと思える何かさえ自分では分からなかったんです
それは、きっとこれからの人生もずっとそうなんだ…、自分にはやれることなんて何にもないんだ、と改めて想った時に
悲しみも、無力感も、喪失感もいっぺんに味わったような気がします
人生を遡って「あの時あの資格をとっておけば良かった、あの仕事をもう少し続けておけば何か違っていたかもしれない」
そんな後悔の気持ちが後から後から溢れ出てきて、それからはまったく自分に自信を持てなくなりました
「そうだよね、今どき何にも持っていないのに仕事なんてあるわけないよね」「こんな健康面での心配があるのに、どこも雇ってなんてくれないよね」
と、想い何年もそのまま自分のために前向きに考えることを放棄したような状態が続きました
ふてくされるとも違う、わたしなんてという自虐的な諦めの気持ちでいっぱいでした
それから5年ほどたったころ、やっぱりこのままじゃイヤだ、このまま何もない人生はイヤだ、何かしたい!何か見つけたい!
そんな気持ちに変わってきました
なぜ変わったのかというと、還暦が目の前だったからです、還暦なんて人ごとのような感覚だったのに、急に目の前に現れたような気がしてとっても焦りました
急に後ろから、ドンと押されて2,3歩前によろけて周りを見渡したらどの壁にも還暦と書いてあってビックリした、というか気がついた感じです
そしてわたしはブログに出会うことになりました
今日は「こんな自分なんて…」と、想い悩んでいるあなたに向けて書きました
人生は何度でも、何歳からでもしたいことができますし、もし今やりたいことが見つからなくてもあなたの心の奥底には必ずあります
だから大丈夫なんですよ
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