今わたしは『夢の降るみち』という学び舎で学んでいますが、なんとも不思議な所なんです
勉強、コンサルというよりは、人生相談という感じで、この年齢でこんな機会が、ご縁があるなんてほんとうに幸せなことだと感じています
そんな中、昨年の11月にはじめて交流会をやってくださった場所が、なんと『川崎大師』でした
『夢の降るみち』の仙人こと竹川さんと千聖さんがいらっしゃるということでわたしも、直接お話しをしてみたいと参加を申し込みました
その時にこんなお手紙をいただきました
未来型夢の降るみち交流会を神奈川にて行います。
千聖も行きます。
今回の交流会は、下町のんびり散歩交流会です。
散歩の場所は、平安末期から続き厄除け弘法として有名な川崎大師と、その仲見世通りにあるくず餅珈琲屋さんです。
川崎はもともと私が神奈川にいたときに住んでいた場所です。会社で一番苦しかった時を過ごした場所でもあり、
人生の転機となった竹川さんと出会った時に住んでいて、そして息子が生まれた場所でもあります。
人生の苦楽どちらも深く味わった土地・・・
それは、川崎大師のはじまりがもともと無実の罪で国を追われた平間兼乗というかたが、弘法大師(空海)に祈りながら漁師としてつつましく暮らしていたところ
厄年のときに、夢に高僧が出てきて
私が海に流した仏像をひろって供養してほしい、と言われ実際に海に行って網を投げたところ本当に仏像がひっかかりました。
さらにそれを供養していたところ、
高野山の尊賢上人が偶然訪ねてきて、そのエピソードを聴きいたく感激し、2人で協力しお寺を作りあげさらに無実の罪も晴らされ、無事に国に帰ることができた、
という話から作られたお寺であるように
また、川崎のくず餅(久寿餅)は
麦の産地だった川崎周辺にて納屋に蓄えていた小麦を風雨にて濡らしてしまった久兵衛さんが、仕方ないのでこねて水にとかして樽の中にいれて置いておいた
それが、翌年飢饉で何も食べるものがなくなった時、思い出して見てみた樽の中で発酵されていたのがくず餅のもとになっているように
無実の罪で追われたこと一生懸命蓄えていた小麦をダメにしてしまったこと
どちらもきっと、それがあったときは、なんで私がこんな目に・・・と思っていたことだと思います。
だけれども、それがあったからこそ、900年も続くお寺になっていき、くず餅は江戸時代から今なお続く名産品として、川崎大師とその商店街を盛りたてるものとなった。
まさに、ネガティブが魅力にそして厄災に感じるようなことが天命になっていった、というような出来事で、私も川崎で過ごした時間には、そのような想いがあります。
いまはまだ、そのものにあのおかげで、と言える意味を見い出すことはできなかったとしてもそれでもそれは、
苦しいことほど悩んだことほど、必ず、天命に繋がっているから。
そんなことを歴史の息吹と共に感じながら
竹川さん・千聖と一緒にお寺をまったり散歩したり、くず餅と珈琲を飲んでほっこりしながらの1日を過ごしませんか。
くず餅と珈琲というワードにものすごく惹かれたわたしですが、実際に行ってみたところ、仙人さんがほんとうに仙人さんに見えて、千聖さんは物陰にこっそりと隠れている妖精のようで
川崎大師という不思議な世界でお話しできたことはとても特別な時間でした
「やりたいことは、やった方がいい」「人とのご縁を大事にしていく」「その人にあった仕事の仕方がある、みんなが同じじゃない」
そんなお話しを仙人こと竹川さんが話してくださり、帰りの電車ではなんだかはっきりとは分からないのに、何かが見つかったような気がして嬉しくなりました
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