つい先日、旦那の姉の夫、義兄の一周忌法要がありお寺さんへ行ってきました
今回は、義兄の父親の最後の33回忌法要も一緒に執り行い、親子二人の遺影が祭壇に置かれていました
住職の説法の話しの中で、「先に空にいってる方たちは、この世にいるみんなが元気で幸せなことを願っています」とお話しをされていました
そして、「わたしたちは何億もの遺伝子を受け継いでこの世に存在しています」ともおっしゃっていました
そう考えたら、縄文時代からか、その前からか分からないけれど、脈々とご先祖様から受け継がれている自分の身体が、自分だけの身体ではないことを意識しました
ほんとうに未知の世界で、不思議な感覚で、今までこんなことを考えたことは一度もありません
こんなことを考えるなんて、それだけ歳を重ねたということなんでしょうか?
義姉は夫が亡くなってからしばらくは、役所に行って書類の手続きや煩雑な事務処理、そして色んなところに出かけて用事を済ませていて
その話しを聞いていても、わたしにはどんなことをやっているのかさっぱり分からなかったんです
当事者の義姉も「よく分からない」と言うので、二人で笑ってしまいました
もしもわたしが、義姉の立場になったとしても、できるのかといえば全く自信がありません
でも、これは子どもにさせるわけにはいかないと、やりきっていました
ただその想いだけで乗り切っていたようです
ほんとうに役所の話しと携帯ショップの話しは聞いていても理解できないことが多く、いつも白目をむいて分かったふりをしています(ダメじゃん)
今まではそんな忙しさの中に身を置いて、義兄の亡くなった悲しみも胸の奥にしまっていたけれど、一年を経て寂しさを感じるようになってきたようです
お寺での法要が終わり、食事会のときに一つのテーブルに義兄とお父さんの遺影が並んで置かれ、50代で亡くなったお父さんよりも、70代の義兄の方が年齢がずいぶんと上に感じられる遺影でした
ほんとうによく似ている親子の写真
その遺影を見て義姉は少し涙ぐんでいるように見えたんです
今回もわたしは、わたしよりも大きい義姉を抱きしめて、頭を撫でてあげたい衝動と戦いました
コメント