もうご飯なんて作りたくない、と思う罪悪感

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家事として料理を作ることが楽しいこともありましたが、それでも毎日ご飯を作っていると、しんどくてめんどくさくて、つらくなることもあります

 

あなたはどうですか?

 

わたしは、娘のお婿さんとの同居から、自分の中でいつの間にかハードルを上げていたんですね

 

正直、がんばっていました

 

お婿さんは何を作っても「美味しいね」とか「ママありがとうね」と、言ってくれるので、それがもっと美味しいものを食べてもらおうという気持ちになっていったんです


わたし以外はみんな仕事をしていたので、自然にわたしが料理担当みたいな事になり、それが当然のようになってしまいました

 

でも、そうなると食事を作ることが「任務」のようになってしまい、だんだんと楽しくないと感じるようになりました

 

自分の事を卑下して「わたしはどうせ飯炊きおばさんだから」なんて思っていたこともありますし、無理して楽しいフリをしたこともあります

 

今日はもう作りたくないし!!と、思う日だってたくさんありました

 

そんな時は、各自で食事をしてもらったり、何かお惣菜を買ってきたりデリバリーを頼んだり、色々とあるのでその時々で考えますが

 

でも、今まではそれをすることに、とっても罪悪感がありました

 

なぜなら他人の目を気にしていたからなんですね(謎の誰か)


義実家のテーブルには「今日は何かのお祝いですか?」というくらいに、毎日手料理が並べられます

 

義母も義姉もそうしているので、当然わたしもそういうふうにならなくちゃいけないと思っていましたし、それが嫁の仕事みたいなことですね

 

なんの疑いもなく母親として、妻としてということです

 

男はこうあるべき、女は、母親はこうでなくてはという考えに、わたしもとらわれていましたから、そこから抜け出すのはなかなか大変でした

 

以前仕事をしていた時、買い物をして家に帰ってから座る間もなく夕飯の支度に取りかかり、お風呂を洗い、お米を研ぎ、洗濯物を取り込んでと

 

そんなことが日常でしたが、それは当然の毎日の流れなので

 

それが良いとか悪いとかの問題ではなく、考えても答えの出る問題ではないのであえて考えないようにしていました

 

若さで乗り切っていたということもありますね


ですが、そんな中で手抜き料理にはずいぶんと助けてもらいました

 

作っている感があったので、これだと自分の中であまり罪悪感がなかったんです

 

冷凍うどんを釜揚げ風にして、つけ汁につけて食べるだけの料理です

 

つけ汁は(少し少なめにする)

めんつゆの中にひきわり納豆(普通の納豆でもOK)を入れて、鮭缶や、サバの水煮缶を入れて、ゴマやネギをちらしてから熱々の釜揚げうどんを絡めて食べる

これが美味しいということで、わが家の手抜き料理だったはずが、昇格した料理になりました

そしてレトルトのカレーも、ここに温泉卵や、好きな冷凍野菜をチンして乗せたら立派なご飯です

 

60歳を過ぎた今、今までやってきたいろんな立場の自分を辞めることは難しいかもしれないけれど、それをあえて受け止めて

 

これからは手抜きを手抜きに見せない技を出していく

 

それが楽しみに変わるかもしれないと思いながら

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