老いるということ

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義父が特別養護老人ホーム特養に入っていた時に何度かお見舞いに行きました

 

他県のために頻繁には行けませんでしたが

 

行けば息子の事は覚えていたと思います

 

私のことはなぜか「お寺の奥さん」と呼ぶんです

 

どこのお寺の奥さんか分かりませんが私はお寺の奥さんになりきりました

 

ある日、義父を車椅子に乗せてあちこち施設の中を散歩をしたんです

 

大きなテーブルが3つあって、そこではみんなが集まったり、食事をしたり、テレビを見たりしますが

 

何をするわけでもなくイスに座っている人も何人かいました

 

そのテーブル1つ1つに車椅子を停めて義父は挨拶をします

 

そこに立ち止まり義父は過去の話しをはじめました

 

「昔、書道の方で日展で賞をもらったことがあるんですよ」

 

「○○長をやっていたときはなかなか大変でした」

 

その他にも色々と義父の華々しい経歴を嬉々として話すんです

 

もちろんそんな話しは誰も聞いちゃいません

 

それでも義父はもう1つのテーブルでも、またもう1つのテーブルでも

 

同じ話しを繰り返しました

 

私のことはお寺の奥さんと言うのに昔の話しはよく覚えているし

 

自分のことはスラスラと口から出てきました

寡黙でそんな自慢話しみたいな事を言う人ではなかったのに

 

私はなんだか切なくなってしまいました

 

でも、そんな話しをいている義父を見ていて

 

これが義父の生きてきた証しだし、誇りだったに違いない

 

それを人生終盤に人に話せることは逆にすごいことなのではないか

 

私は人に話せることなんてなんにもない

 

そう思いました

 

「自分は今まで頑張ってきたやってきたんだ!」「頑張って生きてきたんだ!」

 

家族じゃない誰かに聞いてもらいたかったのかもしれません

 

お寺の奥さんは「そろそろ帰りましょうね」と、テーブルを後にしました

 

それからしばらくして義父は他界しました

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