たかが書くこと、されど書くこと

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わたしはブログを書いていくうちに、これからの残りの人生は、「ブログを書きませんか?」と、伝えていきたいと考えるようになりました

 

ブログを自分のために、書いていったら、自分を知り、自分を癒やし、過去も認める事ができたら前に進んで行ける

 

そんな感覚を今悩んでいる人に届けたい、そう思うようになりました

 

今までのわたしは、ずっと何年も自分の生い立ちに対して引け目や、コンプレックスを感じていました

 

親がいないだけならまだしも、父親の不倫という形でわたしが生まれてきたから、それはどうしたって、肯定できないし、だけどわたしにはどうすることもできない事の間で揺れました

 

ブログを書いてきて、こんな事を不特定多数の人に開示してしまったら、わたしはどうなってしまうんだろう、と本当はとっても恐かったし、恥ずかしかった

なので、今まで思い出さないように、わたしの出生に関しては触れることなく暮らしてきました

 

兄も祖母も、わたしの事をかわいそうな子だと思っていたと思います

 

ですが、大人になってから、ある人に

 

「それはあなたのせいじゃないし、でも、生まれてきたことはお父さんとお母さんがいての、今のあなたで、出会えた事にわたしは感謝してるよ」

 

と、言ってくれた事は今でも覚えています

 

確かにわたしにはどうすることもできなかったけれど、みんなが辛かった、泣いた人がたくさんいましたし、子どものわたしにはこの想いや怒りをどこにぶつけていいのか分かりませんでした

 

モシカシタラワタシハウマレテハイケナカッタ?

ブログを書きはじめてから、またそこに向き合うことになり辛かったけれど、その当時の想いや思い出を語るうちに、あの頃の自分に会えて、「辛かったね、がんばったね」と言ってみたら

 

わたしの子どもの頃の残像がさらさらと音をたてて消えていくような感じがしました

 

それは、はっきりと癒やされたということを感じました

 

もちろんこんな荒療治みたいなことを、おすすめするわけではありませんが、わたしには必要だったのだと思っています

 

なのでブログを書いていくうちに、自分を知り、自分を癒やし、過去も認める事ができたら前に進んで行けるということを感じてきました

 

でも、一方ではわたしのブログを読んだ人に、何か言われるんじゃないか、そんな親がいたなんて、とか、何かショックなことを言われたらどうしよう、と考えたこともあります

 

わたしのような経験をしている人はそうそういないと思いますが、それでもアラカン、シニアは長く生きている分だけ何かしらの想いがありますね、でも、自分の気持ちを隠すことがとても上手です

 

ですが、隠さないでいいんです、自分の傷を癒やして前に進んで行くために

ブログを書くことは、ほんとうの自分を見つける旅のようだと感じています

 

まだまだわたしはそんな自分の世界を見つける旅の途中です

 

旅の途中にはいろんなことがあります生活の中では、良いことも、良くないことも、もちろん悲しいことも、辛いことも

でも、そんな中でもブログを書くことで浄化されて、何か納得できることもたくさんあります

「たかが書くことだけど、されど書くことなんだ」と、思えたことはわたしの人生の道しるべになりました

そんなわたしの道しるべは『夢の降るみち』でした

 

書くことであなたの未来が見えてくる居場所

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