自分が見えない世界

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今度、引越しをするところは、以前に住んでいたところなので、知っている人も多く大事な友達が住んでいるところでもあります

 

子どもたちの学校やわたしの職場もその町にありました

 

子どもがまだ中学生だったころ、あるお母さんとよく話しをするようになり、時にはランチに行ったりすることもありました

 

その中でそのお母さんが言っていたのは、「わたしは産まれも育ちもここで、一歩もこの町から出たことがないの」という話しでした

 

そのお母さんの周りには子ども時代からの知り合いや友達も多く、だいたいの人が地元の人と結婚をしているし、親の世代からの知り合いも多い

そんな話しを聞いていて、地元じゃないわたしには、羨ましいなという感じで聞いていたんですが、そのお母さんは「だから、わたしの世界は狭いと思う」と

 

そして、地域の知っている人たちだけのコミュニケーションは多いけれど、他の場所から来た人たちが羨ましいとも言っていました

 

確かに子どもの同級生のお母さんたちを見渡しても、北海道から沖縄までの出身の人が多くいました

 

そのお母さんは昔から知っている人たちの中で暮らしていくことは、安心感はあるけれどこのまま同じように過ぎていくのかと考えたらつまらない、と

 

「ほんとうにこのままだったら、自分の人生がつまらないものに感じてしまうこともあるんだよね」、と言っていたんです

 

自分の地元の良さが分からなくなっていたんですね

その当時はそんな話しを聞いても、そうなんだ、ずっと地元にいることは良いことのような気がしていたけれど、そんなことを思っている人もいることを知りました

 

夫が転勤族であちこちと飛び回っている人にとっては、早く落ち着きたいと思うかもしれないし、地元から出たことのない人は離れて暮らしたいと思う人もいる

 

わたしはそのお母さんが言っていた「わたしは世界が狭いと思う」という一言があれからずっと頭の片隅にありました

 

はたして住んでいるところから離れて自分の世界広がるんだろうか…

 

地元から沖縄に引っ越した人や、ハワイに引っ越してしまった人もいますが、みんな口をそろえて言う言葉は、地元に対する想いが変わったことです

 

つまらない何もない地元が嫌で引っ越した人も、夫と共に終の棲家を選んだ人もいますが、みんな地元の良かったことばかりを思い出すし

 

今まで見えなかったことが、何か浮き彫りにされたように見える瞬間があるとも言っていました

自分の足下は見えなくなることは誰にでもあって、遙か向こう側がピカピカに光って見えたら今までの自分の人生はなんだかつまらなく思ってしまうことがあります

 

今回わたしも鎌倉という場所を離れますが、離れて見える景色も楽しみたいと考えられるようになりました

 

「わたしは世界が狭い」、確かに違う場所に足を踏み入れたら見えるものが増えるかもしれないけれど、自分の心一つで見えることもたくさんあるはずです

 

自分で世界を広げていくことが大切なんですね

 

わたしの世界を広げてみたいと想った異世界

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